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タイヨウノウタ |
もうどれくらい前のことなのかな?
娘がテレビで見ていたどらまがありました。
私自身は、あまり興味もなく、ただ何となく眺めているだけで、どんなストーリーだったか、誰が出ていたのかさえも覚えていない内容でした。
しかし・・・
先日、T書店にDVDを借りに行ったときのことです。
何を見たいとか、特別にあったわけではないのですが、かみさんと、たまにはDVDでも見ようかという話しになり、出かけてきたんです。
そして、DVDのコーナーを物色していたら・・・・
目についたのがこの「タイヨウノウタ」でした。
そして、以前、娘が見ていたテレビを、何気なく見ていたドラマが、この「タイヨウノウタ」でした。
特殊な病気に立ち向かう二人のラブストーリー
以前、テレビでもドラマ化されていましたので、この話しを見て知っている方もたくさんいらっしゃることと思いますが・・・
紫外線を浴びると死んでしまうという特殊な病気にかかった16歳の少女がこの話の主人公です。
そして、朝早くからサーフィンをしに出かけていく少年との物語でした。
主人公の少女は、幼いころから、太陽の下で遊ぶという事を知らずに育ちました。
日の出とともに家の中で眠り、日が沈むと活動を始めるという毎日を送っていました。
そんな少女の楽しみは音楽で、毎晩ギターを抱えて、駅前の広場に行き、そこで、だれも聞いていないステージで明け方まで歌い続けていました。
そんな少女が、ある日、自宅前のバス停で見かけた少年に恋をします。
その少年は、毎朝、仲間と共に、サーフボードを持って海に出かけていきました。
その少年たちの集合場所が、少女の自宅前のバス停だったんです。
日の出前のわずかな時間、少年を見つめる、その時間が、少女にとっては大切な時間となっていったんですね。
そんなある日のこと・・・。
いつものように、駅前の広場で歌っている時に、毎朝バス停で見かける少年が、その広場の前を通りかかったんですよ。
運命を感じたのではないでしょうか・・・・!
少女は、ギターを友人に預け(押しつけ・・・という表現の方があっているかな。)、少年を追いかけます。
そして・・・・
ここから、二人のストーリーが始まりました。
その少年は、友人と同じ高校に通う生徒であることはわかりましたが、それ以外のことはまだ何もわかりません。
友人が、学校でその少年のことを調べて、少女に伝えるんです。
少年のことを知れば知るほど、少女は少年い惹かれていきます。
そんなある日のこと・・・
バス停で少年のことを思い描きながら時間を過ごしていると、偶然少年と再会します。
そして、二人の距離はいっきにちじまります。
しかし・・・
少女の病気が二人の間にのしかかってくるのです。
純粋な二人の思いと、それを見守るご両親や友人の願い。
そして、二人が迎える結末とは・・・・。
普通の暮らしが幸せ!
ストーリーの中で、少年が、「俺は普通にしか生きていけないから・・・」といい、少女は「普通に生きることしか望んでいないのに・・・」と答えます。
そのセリフを聴いたときに、「普通」に生きること、「普通」に暮らすことは、実は、すべての人にとって当たり前のことではないのだなという事を、改めて感じました。
私達は、いつもと同じように、みんなと同じように、ただ当たり前のように毎日を過ごしています。
この映画で言えば、朝起きて、学校や仕事に出かけ、夜帰ってきて、家でくつろぎ寝て、また朝起きて・・・の繰り返しが、ごくごく当たり前の生活、当たり前の暮らしであると思っていましたが、この映画の主人公の少女にとっては、その暮らしは憧れの暮らしであり、当たり前の暮らしではなかったのですよね。
例えば、私達が当たり前に歩き、当たり前に階段を上り、2階や3階に上がることも、特別なことではないのですが、私の知っている車いすの少女は、「私が一番してみたい事は、自分の家の2階に上がってみることだ・・・」と言っていたのを思い出しました。
その子は、全身に障がいがあり、自分で自由に動かすことができるのは口だけという、じゅどの障がいを持たれた子でしたが、体も大きいのdw、自分の家の2階に上がったことがないと言っていました。
この映画を見ることで、些細なことも、実は当たり前ではないことを改めて感じ、知り、考えさせられました。
この少女が、自分の人生に真剣に向き合い、できる環境の中で、自分の夢を追い、生きぬ子とする姿が感動的でしたし、そばで見守る少年のやさしさや心づかいが、本当に暖かさを作り出していたなと思いました。
そんな人のひたむきさや、やさしさに触れることのできる作品であったなとおもいました。
また、少女の手に麻痺が来て、ギターが弾けなくなったことを知り、病院の先生にお父さんが、「どうしてうちの子が、こんな病気に・・・、どうしてそれが家の娘だったんだ・・・・」と、涙ながらに訴える場面では、誰を恨んでもしょうがない、誰を恨んでも何も解決しないことを知りながらも、誰かに伝えずにはいられない親の切なさを切実に感じ、一緒にDVDを見ていた我が息子を見ながら、うちの子は、健康に生まれてきてくれた・・・それだけで幸せなことなんだよなと改めて感じてしまいました。
自分が生きた証
この映画のエンディングでは、この少女は永遠へ旅立ってしまいましたが、その生きた証として、音楽が、歌声が、そして思い出が人々の中に残されていることが確かめられました。
以前に読んだ、ある本に「人は2度死ぬ・・・」という話がありました。
一度目は、肉体が死んだとき。
通常で言う「死」であります。
しかし、人の心に、思い出という形で残っている間は、実は魂は生き続けることができるのだと言います。
人々の記憶から消え失せてしまう時に、その人の2度目の「死」・・・・本当の「死」が訪れるのだと書かれていました。
この少女は、音楽を通して、たくさんの方の心の、いつまでも生き続けていくことができるんだよな。
それも、また幸せの一つの形なのかな。
自分は、いったい、生きている証を、生きていた証を、どんな形で残すことができるんだろう。
私は、生きている間に、いったい何ができるのだろう。
もう「50も半ばを過ぎたおじさんではありましが、改めに、自分の日々の過ごし方、そして、これから、自分がやるべきことに対し、真剣に向き合う必要を感じる作品に出合えたなと思いました。
とても素敵な映画でした。
まだ、この「タイヨウノウタ」を見ていない方、もしくは、この話を知らなかった方、また、一度見たよと言う方も、もし、私のこのブログを読んで、ちょっと気になるな・・・と思われたら、是非もう一度見てみてください。
そして、今生きていること、そのことが、本当に素晴らしい事であるという事実を、感じて頂けたらと思いました。
【 心豊かに暮らすための今日の一言 】
・映画を見よう!
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